他国で開発されたサービスの日本化あるいは米語化を考える

hagi に投稿

先日、デンマークで創業され、現在は米国に本社があるTradeshift社の日本のプレゼンテーションを聞いて興味を持ち、アカウントを登録して触ってみた。

彼らの初期ビジョンは会社案内に書かれている。

In 2005, entrepreneurs Christian, Mikkel and Gert had a vision: to connect every business in the world. So when the Danish National IT & Telecom Agency asked them to create an e-invoice network, they saw an opportunity to create something bigger.

その「世界中の全てのビジネスを結び付けること」は、実際に実を結びつつあり、190ヶ国以上で利用されていて、多くの外銀や富士通株式会社もアカウントを持っている。fujitsuで検索すると、オランダを筆頭にデンマークはもちろん、韓国やフランスの会社が出て来る。

面白いと思ったのは、fujitsu Japanで引いても日本の富士通は出てこない。Japanで検索すると206社(日本の会社とは限らない)がヒットする(2019年10月2日現在)。同じ会社で複数出て来るケースもあり、日本語名と英語名が登録されている会社もある。

残念ながら、私の所属会社が取引関係がある海外の会社は一社も見つからなかったが、大きなポテンシャルを感じるサービスである。実際、Forbes Fintech 50 of 2019にも選ばれている。

最近、いくつかのサービスサイトを触っていて不快に感じるのは、勝手に日本語のサイトに飛ばされてしまうケースが増えている事だ。Tradeshiftでも言語の選択はできるのだが、レジストレーションを始めると日本語になってしまう。余計なお世話である。wework.comもそうだ。グローバルなサービスの場合は、当然国によってサービスが違うのは今は当たり前だと思っているが、少なくともグローバルな会社の顔とローカルな会社の顔があるのは自然なことなのに、サービス提供者側が利用者の動線を強制するのはひどい事だと思う。Tradeshiftでも、常識的にグローバル名(英語名)とローカル名が使えて、どちらでも検索できて当然だと思ったのだができないのだ。

グローバルなプラットホームをローカルで(日本で)普及させようと思うと、ローカライズ(日本化)が必要だというのは正論なのだけれど、グローバルなプラットホームの視点を失うと本末転倒である。鬼門は、米英と日本だ。米英は英語が母国語でない人たちのグローバルプラットホームとしての英語の位置づけが中々理解できないのと、日本は人口が中途半端に多いので、グローバルプラットホームに参加するという気持ちが希薄でその意味をあまり考えない。その3つのプレーヤーは唯我独尊なのである。中国も良く似ているが、一人当たりGDPではまだまだ先進国入りしていないので、アメリカで売れるものを作れなきゃダメじゃんという意識はまだまだ高い。

グローバルプラットホームで世界モデルをどう作るかはとても難しい問題だが、無理やり日本語にもってくるようなサービス設計は私は大嫌いだ。サービスが良ければ我慢して使うと思うけれど、ユーザーに自由を与えるようなサービス設計を行ってもらいたいと切に祈るのである。

最近、欧州の国々を見ていると、自国の経済規模が小さいから、それ故自国だけを見ていたら成り立たないようなビジネスを始める力が強いのではないかと思わされる。ただ、結局米英日の資本家にお金を出してもらって果実が吸い取られているように感じることもある。何か理不尽なものを感じる。

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