パトモス島はトルコの傍にあるギリシャの島。新約聖書最後の書物「ヨハネの黙示録」はそこで書かれたとされている。作者はその島に幽閉されていたらしい。
所属教会の聖書研究会がしばらく「ヨハネの黙示録」に取り組むことになったので少し調べて見た。
私は歴史の知識、地理の知識がかなり足りないので、Google様のお世話になって調べて見ると、パトモス島は、直線距離でアテネから約260km東南、今はトルコのエフェソス遺跡から南西約100kmに位置する。ぐっと引いて見るとエルサレムとローマを直線(2,300km)で結んだ中間あたりにある。ローマから車で向かうとすると、南にナポリに向かってイタリア東海岸のレッチェのあたりからフェリーに乗って、ギリシャに渡り、アテネのあたりから再び船に乗ってパレルモ島まで31時間。エルサレムからだと、シリアのダマスカス(ダマスコ)を通ってトルコに入りボドルムという所からフェリーで向かって30時間。当時の人の移動能力を考えると、ローマからもエルサレムからもはるかに離れた場所がキリスト教伝道の中心地だったということだ。
観光サイトで見ると、昨年訪問したギリシャのアテネやテサロニッキの風景に近い雰囲気がある。共通点はあるがローマの景色とは違うし、フランスやドイツの景色とも違う。
黙示録の最初の部分では、7つの教会にあてた手紙が出て来る。最初がエフェソ、次がスミルナ(現在のイズミル、約130km北東)、次いでペルガモン(トルコ、210km北北東)、ティアティラ(現在のトルコアクヒサル210km北東)、サルディス(現在のトルコサリフリ190km北東)、フィラデルフィア(現在のトルコアラシェヒル210km北東)、ラオディキア(現在のトルコデニズリ230km東北東)で、どれも現在のトルコに位置し、恐らく半径150kmの円の中に全部入る。ざっくり関東地方に収まる7拠点位の感じの場所だろう。執筆時期が94年から98年頃とするとローマ帝国は西はスペイン、東はカスピ海あたりまで伸びていたと思われ、その中のごくわずかな地域に集中している。ギリシャ文化圏の一部という感じだろうか。
キリスト教がローマで公認されたのが、313年、国教化が392年。黙示録が書かれた頃は、イエスの死後2世代程度が経過しているもののまだ新興宗教の段階にあったのだと思う。それでも60年余、宗教として生き残り、迫害の対象となっていた。当時の信者は、どういう思いを持っていたのか、どんな生活を行っていたのか、黙示録を読んだ(読み聞かせられた)時にどう感じたのか?
今からふり返れば、もうすぐ天の国は来るという預言はまだ実現していない。一方で、その教えは今も生きている。あまりに遠くて容易には想像できないが、当時にそこで生きている人だったらどう見えていたかを考えながら研究会に参加したいと思っている。