コワーキングは言葉として、かなり市民権を得ていると思う。恐らくビジネスパーソンの2割程度は、コワーキングという言葉を知っているのではないかと思っている。コワーキングの時代が来ると5年前に確信してから、思いの外時間がかかったが、やはり間違ってはいなかったと思う。風が吹いてくると、怪しげな仕切り屋が跋扈するようになる。腹立たしいことだし、違うことは違うと言わなければ、扇動家に悪意はなくても惑わされてみんな地獄行きになってしまうリスクがある。それでも、そういう怪しげな奴が活躍しなければ、キャズムは超えられない。人それぞれ、活躍の場があり、好き嫌いは誰にでもある。コワーキングの世界は、給料をもらう支配・被支配の関係のないコミュニティである。だから、日々傍目から見ればつまらない争いがおき、コワーキングスペースのオーナーは、その問題に正面から向き合わねばならない。嫌なら、どちらからでも縁が切れるので、声も拳も上げなくても、それはそれはドロドロした(美しい)世界でもある。自分の本性が試されるのである。私は、自分の本性の未熟さに日々(今日も)打ちのめされているが、しかし、そういう自分に向き合ってやれることをやる以外に出口などありはしない。だから、適切な範囲で、包摂的(Inclusive)でなければ持続性はないのだ。ヒッピー的なゆるさがなければ我慢できない人もいれば、約束の時間を守れなければストレスになる人もいる。それでも自分がここのコミュニティに入ると決めたら(郷に入れば)、そのルールに合わせるしか無い(郷に従え)。そこには、激烈な競争がある。その恐ろしさを超えて、包摂的な未来を迎えられたら素晴らしいと私は思っている。
コワーキングという言葉を知っていても、コワーキングの世界でコミュニティが(一番)大事だというコンセンサスをコワーキングスペースの運営に関わる人の多くが認識しているのは、まだ広く知られてはいない。地方創生や移住を検討している人でも、まだコミュニティの重大さを認識している人は少ないと思う。私自身は、佐谷さんに会って、その本をいただくまでは全く気が付けていなかった。同時に、その経験は強烈だったのだ。
それから5年。今年は、久しぶりに大規模な日本のコワーキングカンファレンスが開かれ、幸運にも登壇依頼を頂戴したので、ありがたくお受けした。多くの人に知っていただきたと思って書いたので、ここでプレゼンファイルを公開する。じっくり話をすれば、1時間半から3時間の枠でも楽しめる可能性のある分量なので、ご興味のある方は、ぜひ講演依頼をお寄せ下さい。