Activity Based Workingはもう少し追い詰められるまで注目されない気がする

hagi に投稿

テレワークはやる気になれば、恐らく全労働の5割以上に適用できるだろう。そのキーワードとなると思われるのが、Activity Based Working(ABW)である。ただ、どうやらこのキーワードは、もう少し追い詰められるまで注目されない気がする。

テレワークが普及しない理由は「誰が何をやるか」決めてないからという記事がでていた。その本文に

仕事が定義されていないとテレワークなどを推進することが難しくなります。

このことは、総務省が平成22年にまとめた『テレワークの動向と生産性に関する調査研究報告書』に挙げられている、テレワークを導入しない理由の1位が「テレワークに適した仕事がないから」(69.0%)であったことからも裏付けられます。

このことは、テレワークに適した仕事が存在しないのではなく、業務を定義していないからテレワークに適した仕事として認識できないと考えることができます。

と書かれている。「テレワークに適した仕事がないから」とあるが、良く考えるとテレワークでできない仕事の方が特別な仕事だ。もちろん、接客や畑仕事など、その場所、その時間でやらなければいけない事は沢山ある。さらに、それがメインの業務となっている人は5割以上という説もある。

一方、そういう現場の人がやっている業務タスクを分析すると、現場でなければいけない事、現場でやるから効率的なもの、現場あるいは本人がやらなくても実現できる事があるのが普通である。そういった、サブ業務、あるいは業務タスクをActivityと呼んで、そのActivityに適した働き方、働き場所を選ぶのが合理的というのが、ABWの考え方である。

ABWの観点で見ると、ほぼ全ての働き手は、テレワーク可能なActivityを担当している。その比率が、全体のワークロードの90%以上の人もいるし、10%以下の人もいるだろう。特にバックオフィス側であれば、「テレワークに適した仕事がないから」という事はあり得ない。ただし、現場(特定の場所)でやるから効率的なActivityはある。テレワークの普及が進まない主な理由はここにあると思っている。

仕事のやり方を変えると、多くのケースでは一度生産性は下がる。その仕事の仕方に習熟すればその前より生産性が上がるとしても、変化コストがあるのだ。企業側から「テレワークに適した仕事がないから」という言葉が出るのは、まだ変化コストをかけてでも働き方を変えるインセンティブはないという事だと考える方が良いと思う。

ここで改めて「現場(特定の場所)でやるから効率的なActivity」に注目したい。私事ではあるが、先月父が入院し、先週母が入院した。父母の同居家族は2人兄妹の妹で持病があり活動に制約がある。母が入院した時には、救急外来に駆けつけ、母の退院にあわせて昨日、一昨日は実家に泊まった。

現在は、被雇用者ではなく経営者である。主な仕事はITプロフェッショナルサービス。納期は守らねばならないがワークロードの8割以上は場所にも時間にもほとんど左右されない。ネットとPCがあれば仕事は進められる。病院の救急待合でも効率は落ちるが一部の仕事はできる。できなければ進捗はゼロだ。ネットワークにつながれば実家でも仕事はできる。母の退院に合わせて2日間実家に泊まったが、一定時間集中できる時間が取れたので、その作業はオフィスでやっても自宅でやってもコワーキングスペースでやっても実家でやっても変わらない。そのActivityは場所を求めていないのである。

つい五年少し前までは会社勤めだった。朝は遅くても8時前には出社していたし、柔軟な働き方を整備する役割を担いつつも、オフィスに出て働くのが基本的な働き方だと思っていた。もし、今もその会社で働いていたら、今回の父母への応援は休暇を取って対応しただろうと思う。恐らく、周囲の人たちも協力してくれるだろうと思っている。

ただし、短期的にその時期を乗り切るという事と、日常的なワークスタイル、ライフスタイルを確立していくという事は明らかに違う。私は父母が妹と共に幸せに長生きして欲しいと願っている。同時に自分の生活も守らないわけにはいかない。父の退院後には新しい日常が待っている。何とか長期的に持続可能な日常生活を作っていかなければならない。

その視点にたって考えると、実家・家族の状況、自分のお客様との関係、自分が出来そうな事、関係先の方と考える余地のある事を総合的に考えて生き方を考えるようになる。具体的には、時間配分、自分の物理的な居場所、仕事のやり方を考える。

ここまで考えると気付くのは「現場(特定の場所)でやるから効率的なActivity」を会社都合で考えると、どんどんその会社で働ける人は減ってしまうという現実である。より引いて見れば、その人が働けなくなれば、収入も得られなくなる。貯金を取り崩してしのぐか借金するか共助、公助に頼る事になる。潜在的な社会貢献力が失われる。もったいないし、本人も困る。インターネット前と異なり、技術的には働き続けられる余地があるのに、制度が硬直的なままなのだ。

日本の労働生産性はOECD加盟35カ国中20位である(日本生産性本部「労働生産性の国際比較」)。既に過去の成功体験に溺れて、改善・改革を怠り競争力を失っていると考えるのが適切だろう。女性就職率でも26位。国際競争力のないライフスタイルを保守の名の下に民に強いている。男性と経営者の既得権益擁護(別名プロビジネス)が結果的に人権を侵害しているのだと思う。

私はテレワークの推進が重要なのではないと思う。所期の成果を出すために必要なActivityを洗い出し、その実行柔軟性を高める取り組みが必要なのだと思う。変化コストは大きいが、良い意味での一億総活躍社会は豊かな未来をもたらすだろう。

私は、ABWに期待している。

良い意味での一億総活躍社会の実現上のもう一つの大きな壁は、雇用流動性の確保だろう。既に格差は拡大してしまっていて機会均等は失われている。格差が階級化すると総中流時代のようには同じ目線で問題を見られなくなる。適切な指標の設定と目標設定が必要だと思う。