砧教会祈祷会2018年5月16日奨励原稿
聖書:マルコによる福音書12章31節 第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。
ソーシャルワークの定義(The International Association of Schools of Social Work (IASSW)から引用):ソーシャルワークは、社会変革と社会開発、社会的結束、および人々のエンパワメントと 解放を促進する、実践に基づいた専門職であり学問である。社会正義、人権、集団的責任、 および多様性尊重の諸原理は、ソーシャルワークの中核をなす。ソーシャルワークの理論、 社会科学、人文学、および地域・民族固有の知を基盤として、ソーシャルワークは、生活 課題に取り組みウェルビーイングを高めるよう、人々やさまざまな構造に働きかける。
アブストラクト:日本の社会福祉の歴史を新野 三四子氏の論文「キリスト教社会福祉教育における専門ワーカー育成の歩みと課題」から学び、現在の国の社会福祉政策とキリスト教会(界)が行うべきソーシャルワークのギャップを探り、今後について考える。
2010年の追手門学院大学社会学部紀要に新野 三四子氏が「キリスト教社会福祉教育における専門ワーカー育成の歩みと課題」 という論文を発表している。論文自体は、私の目にはキリスト教からの視点がやや強く感じられる部分もあるが、キリスト教が社会福祉の増進、社会福祉教育に大きく貢献してきたというのは間違いない。
執筆者は、社会福祉教育の起点を保育教育においていて、アメリカン・ボードとの関係にも言及している。明治の初期に開国とともに日本が大きく変化した新島襄の時期の話である。少し、辿ってみると、英国国教会の迫害を逃れて渡米したキリスト教信者が神のもとの平等という信仰に基いて、身近な異質であるアメリカインディアンとの平和的共存をめざしたのを初め、外国宣教組織を立ち上げて、日本にも影響を及ぼしている。当時の日本人にとっては本当に天地がひっくり返るほど異質な敵を助けよという考え方を含めた平等と多様性の許容の価値観が持ち込まれた。
そういう時期から約半世紀が経過した頃には米日共にソーシャルワークという概念が整理されるようになり、第二次世界大戦後には、日本では米国からの強い干渉のもとで社会福祉政策が進められ、米国ではソーシャルワーカー協会が1955年に立ち上がった。理論化も進み、宗教に基づく善意による活動から、社会にとって必用な施策として認識されるよう変わっていく。特に、日本においては敗戦による貧困、深刻な食糧不足、医療サービスの欠如が深刻で、復興を進める上で福祉は触れないわけに行かない問題となっていたのだろう。キリスト教の教勢拡大を目指すアメリカの人達にとっては絶好のタイミングに感じられたかも知れない。憲法には米国では未だに書かれていない男女平等が明記され、人権に関しても、憲法前文の思想に関しても相当キリスト教的な理想が込められていて、ある意味で理想郷の創造が目指されている。異論もあるだろうが、私は、日本の憲法は神のもとの平等というキリスト教の考え方を考え得る限り追求したものになっているように感じている。キリスト教界の惜しみない支援と、基本法の力で戦後の日本は世界で例を見ないほどの福祉国になったと思う。
適切な医療が受けられないと思う人や境遇により我が子の将来が暗くなると思う人が多ければ、平等を訴える声は民に響く。アメリカでは実現できなかった国民皆保険が1961年に実現している。十分な数が揃えば、民主主義政権なら立法化が進むのは当然のことである。私は、それは素晴らしい事だと思っていて、国という大きな力が税金等の方法で福祉サービスの底上げを図れば、キリスト教会が善意の寄付で実施できる範囲を大きく超えて救われる人は増える。その段階でキリスト教会の役割は提唱者、推進者から支援者に変化すると考えて良いだろう。
論文ではベビーブーム世代進学期~社会福祉士法制定試案期(1970 年代中頃まで)として、この時期の進歩に触れている。いくつものキリスト教主義の大学が社会福祉学科を開設し、公的制度を含む社会福祉の担い手であるソーシャルワーカーを育成した。また、1970年には高齢化社会が話題となり、この時期には既に介護職について公的資格が検討されている。1973年には福祉元年と言われ、高齢者医療の無償化が進められた。まさに、未来は必ず良くなると多数の人が信じた。この辺りをピークとして、この論文では福祉見直し期~専門職制度準備期(1980 年代中頃まで)、専門職制度成立期~介護保険成立・基礎構造改革期(2000 年頃まで)、福祉バブル期~現在(2009 年)と時期を追って整理している。読んでいると、福祉元年のあたりから、国が制度として取り組む話にキリスト教会が弱々しく協力している形に見えてくる。宗教の呪縛から自由になるべきという考え方も垣間見える。
論文で触れられている事ではないが、今1973年の福祉元年あたりからの歩みを振り返ると国という仕組みの強さと弱さが見えてくるように思う。高福祉社会は将来の不安を取り除き、現在を頑張る気持ち、挑戦する気持ちを高める。高度成長期には、きっと将来は今日より良い時代になっていると信じていたわけで、全てが前向きに回る。当時夢見た高福祉社会は、持続可能なモデルではなかったため、その結果財政破たんに向けてまっしぐらに進んでいるのが現実である。国は一度制度化したら高福祉の約束を果たさなければいけない。そして、多くの人が影響を受けるような福祉レベルの引き下げは政治的に許容できない。しかし財政的に破たんしているからコストを下げなければいけないので、勢い弱いところにしわ寄せが来る。それが今の日本という国の弱さであり限界であろう。
キリスト教のソーシャルワークは、神の下の平等の理念に根差して、虐げられている人に寄り添うという使命に基づく活動。一方、国の福祉政策は国民の多数が支持するものでなければいけない。伸びている時には、より広く、より深くへと概ね方向が一致するが、縮む時には違いが出る。キリスト教の理念に根差せば、まだ福祉が行き届いていないところには全体が縮む時でも取り組まないわけにはいかない。それを実現するためには、今ある程度行き届いている人達が少しずつ我慢しないと実現できない。一方で、投票行為で考えると自分に不利益な政策を掲げる人を普通は支持しない。国には、強い力があるが、悪い言い方をすれば心は無いのである。例えばソーシャルワーカーの待遇改善は、国の制度の観点ではコスト増に見える。資格制度等環境を整えても、財源が伴わなければ自治体が費用を負担する福祉施設はコスト増を受け入れられない。ソーシャルワーカーの待遇は十分に改善されることは無く、結果としてソーシャルワーカーの成り手も細る。
引用した論文では、今後の課題に対して、「学校と教会と福祉現場のつながりを取り戻す」と「制度という公的権力に屈してはならない」と「キリスト教社会福祉教育のコアを確立する」という対応策に言及している。キリスト教社会福祉教育という視点で見れば、もっともな提言に読める。しかしながら、私は問題を構造的に捉えなおすと、持続不可能な社会福祉制度を作ってしまった縮みつつある国のこれからの社会福祉にどう取り組むかが本質的な問題だと思う。
キリスト教が教える『隣人を自分のように愛しなさい。』という教えの実現のために、政治的視点では、私は、北欧型の高負担高福祉国への道を訴えて行くのが適切だと思う。増税による財源の確保とまだ手が届いていない隣人、例えば一人親の貧困世帯のための福祉の拡大が必要だ。
国々の政策を比較すると、キリスト教国では万人の平等が(たてまえかも知れないが)共通の価値観となっていて、その解釈が時期と共に洗練されてきているように思う。性別や人種、障害の有無などに影響されず『隣人を自分のように愛しなさい』という教えが根底にある。他の宗教を排斥してはいけないが、性別や人種、障害の有無などに影響されず『隣人を自分のように愛しなさい』という教えが普遍的ルールとなっている。その考え方が、社会福祉を国家のサービスとして民に与えるという国家の管理者的な思考回路を、本当に助けを必要とする『隣人を自分のように愛』するための制度に矯正していく力となる。それこそが私たちキリスト者に向けられたメッセージだ。そういう意味で、SDGの「 “誰一人取り残さない”世界の実現 」に向けた活動は全てソーシャルワークに含まれると思っている。
実際の行動は難しい。身近な方向としては、自分ができること、各個教会ができることを考えるしかない。教会としては、まずは礼拝、生きる力を強める集会が開催されている場となると共にその存在を広く知らしめる必要があると思う。キリスト教の教えを正面から世に訴え続けるのが本来の道だと思う。地域社会の一員として何をやるか模索しないといけないと思う。例えば、どう町会( http://www.kinutamachi.jp/soshiki-kai.html )と関わるかも考える必要があるだろう。どうも自分自身が何をやるべきなのかは正直言って良く分からない。不器用だし、人付き合いもうまくない中、考えつく事は、せめて自立して生き続けること位である。それすら決して楽観できないが、ただ前を向いて良いと思う事を続けるしかない。