独立して5年

hagi2018/03/28(水) - 12:13 に投稿

今日3月28日は私にとって思い出深い記念日である。

KinutaPark181325

2013年3月28日の午前中に株式会社シーエーシーの株主総会の終了時に取締役を退任した(クビになった)。その日の内に、法務局に現在運営中の合同会社ユビキタスライフスタイル研究所の登記手続きを行い創業者となった。本日で満5年、法的な立場は別として、一つの区切りと考えている。

2004年度に向けて取締役就任を打診された時点で、使用人兼務取締役とは言えもう雇用保険の対象者でもなく任期満了時には次がないことは理解していた。その時から私の次の一歩の準備は始まった。当時の社長が覚えているかどうかは分からないが、私は任期は何年と想定すれば良いですかと聞いたことを昨日のことのように覚えている。彼は社長になれなければ10年と考えるのが妥当と言った。

取締役就任後は、10年という目安は意識しつつも、もし次の3月に再任されなかったらどうするかという事を毎年考えていた。自分が社長になったらどうしようかという考えともし再任されなかったらどうしようかと両面で考え続けていた。当時は、Web 2.0というキーワードが話題になり始めた頃で、大企業の経営者や管理職者が結構真剣に時代がどうなっていくのかを知りたくて勉強しつつ、同時に現実はそう変わらないという空気が支配していた。

個人的な背景としては、当時手掛けていた金融機関向けの大規模システムも無事リリース日を迎え、次の挑戦をどうしていくかといった時期だった。私は受託サービスは先が無いと思っていたので、事業構造を変えなければいけないと考えていたけれど、実際の稼ぎ頭は受託サービスだから浮いている感は相当なものだった。しかし、過去の経験に照らせばホストで稼いでいる時期に分散ネットワーク時代に張り込んで時代対応の流れを作った自負心があったし、2つの大規模プロジェクトでもある種のパラダイムシフトに関わっていたので、サービス化と生活者直接接点の基本を押さえれば必ず出番はやって来ると思っていた。だが、そういう風は私の近くでは吹かなかった。

取締役になって5年、2009年に米国子会社への異動が命じられた時、だいたい何年ですかと再び聞いたら、5年を目安という話があった。それなら10年で社長になる可能性は小さいと思った。出番がないのなら、無いなりにできる事をできる限りやろうと思って渡米した。赴任二年目で2011年に社長を交代する話を耳にし、帰国後2年で退任となった。

そして私の新たな職業人生が始まった。

実際に一歩を踏み出すと、決して道は平坦ではない。企業という後ろ盾を失えば、今まで気が付かなかった様々な面倒も押し寄せてくる。たくさんの同僚や部下に助けてもらっていたことの価値にも気が付かされる。5年経過してみると思った姿は遥か彼方でその道は遠く険しい。しかし、創業の時の思いを忘れることはできない。

実は、2018年になって、あるきっかけもあって、もう一度一からやり直してみようと考えるようになった。夢を引きずったままで一からというのもおこがましいが、様々なビジネスチャンスを探して歩き回っている。具体的には金になる仕事を探しているということだ。ポートフォリオワーカーという位置づけに自分をおいて、パートタイムの仕事にも沢山応募してみた。しかし、ほとんど返ってくるのは「お祈りメール」である。現実は厳しい。

恐らく人生は想像するより長い。というか長く生きることを想定して考えなければいけない時代である。第一の社会人人生では新入社員から20年で役員になった。29年で第一の段階を終えた。第二の時代は今日から6年目である。私は24歳で就職したから、29歳の春を思い出せば良い。私の人生はまだまだこれからだと思っている。後20年経過してもまだ80歳に到達しない。現実は厳しいいが、もう一度、自ら手を動かして仕事をして、社会的に良いこと、付加価値を生み出す存在として成長したいと願っている。