金井美彦様
先週までのやり取りを再整理しました。
金井美彦様の表現
「牧師及び役員会は総会決議を教会の総意とみなし、尊重する。
ただし、緊急の事態や教会活動に支障があると牧師及び役員会の判断した場合、その判断が決議に優先する。」
萩原表現による金井美彦様の理解
1. 総会決議は教会の総意である
2. 牧師及び役員会は総会決議を尊重する。ただし従えないこともある
3. 牧師あるいは役員会が判断を下した時点で総会決議は無効になる←牧師及び役員会の判断は教会の総意に優先する
萩原高行の理解
1. 総会決議は教会の総意である
2. 全ての教会員(牧師や役員会を含む)は総会決議に従う。ただし従えないこともある
3. 牧師あるいは役員会が異なる判断を下した場合でも総会決議は有効で、速やかに総会決議で是非を諮らねばならない←牧師あるいは役員の判断は総会決議に関して緊急避難以上の権限を持たない
先週の時点で、金井美彦様は「総会決議順守は大原則」という言葉で「総会決議は教会の総意である」については、お認め下さいました。私にとっては、本当に大きな変化です。それ以前のご発言との整合性に難がありますが、少なくとも私にとっては、それは過去のことですから、これから前を向いて歩む時に問題になりません。
萩原表現での金井美彦様の理解と萩原との差異についての理解は一致しておりますのでしょうか?
それとも1を 総会決議順守は大原則と書き換えるべきでしょうか?(その場合は、その違いが何かを知りたいです)
できれば、認識差異の共通理解を明文化したいと思います。私には、これまでの努力の結果、徐々に本当に議論しなければいけないところはどこかが明らかになってきているように感じられます。
繰り返しになりますが、私は再び共に歩む未来を探っています。大きな理由は、それが母が砧教会という場を失わないこと、父が墓を得るために必要なことだと考えるからです。決して糾弾するために書簡の往復を続けているわけではありません。金井美彦様と役員会が無理なく私を現住陪餐会員に戻すことが適当と考えるようになり、かつ、私自身が砧教会が自分にとって所属教会として適切と思えるようになることを目指しています。恐らく、誤解を解くという話ではなく、過去の行為の是非を問うという話でもなく、本来目指す姿を考えることが必要なのだと思っています。
少なくとも私には強迫行為という罪があります。強迫行為を受けた人が許すか否かは、被害を受けたと感じる人がどう判断するかにかかっています。
一方で、私は 2020年6月7日、第一回総会時点、第二回総会時点、私が絶縁状と呼ぶレターを受け取った時点で金井美彦様及び佐分利正彦様を筆頭に役員各氏から独裁者的弾圧被害を受けたと感じています。それが誤解であれば良いと思いますし、もしそれが現実であったとしてもそれを越えていく道を探ろうと思っています。
萩原高行