今週も福音のヒントの箇所から学ぶ。今日の箇所は「年間第20主日 (2025/8/17 ルカ12・49-53) 」。見出しは異なるがマタイ伝10章に並行箇所がある(見出しは「平和ではなく剣を」)。3年前の記事がある。
福音朗読 ルカ12・49-53
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕49「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。50しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。51あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。52今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。
53父は子と、子は父と、
母は娘と、娘は母と、
しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、
対立して分かれる。
3年前の記事は結構強烈だが、今読むと「よし良く書いた」と自分を褒めたくなる。残念ながら、砧教会の現状は3年前、5年前から変わっていない。東神大のシラバスも掲載順序は変わっているが、内容が進化しているかどうかは私にはわからない。
53節の家族内対立は、ミカ書7:6の引用と取ることができるらしい。イザヤと概ね同時代の小預言書で「民の腐敗」という見出しがついている箇所。「皆、ひそかに人の命をねらい」とあり、神への信仰が失われ自己中心が隣人間の関係だけではなく家族内にも及んでいるという記述である。そのコンテキストでこの箇所を読むとすれば、真の信仰に生きれば孤立は避けられないと取れる。2000年を経過しても変わらないし、600〜700年前のミカの時代でも、「できるだけ(人より)多くを取る」(自己中心や日本人ファーストなど)という価値観は広き道で、まず神の義を求めよという生き方はバカバカしいとみなされる。いつの間にか、滅びの道に踏み入ってしまう。
地上に火を投ずるというのは、ちがうことはちがうという声が広がっているという状況を目指すということとも取れる。
マタイ伝の並行箇所は、もっとはっきりと言い切っていて「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。」と書かれている。何を大事にするか間違えるなという警句と取るべきだろう。
現代では欧州はキリスト教国という印象があるが、13世紀頃は現在のスペインでイスラム王朝が支配していて、アルハンブラ宮殿が残っている。キリスト教徒による征服で、キリスト教のルールがその地で適用されるようになったが、征服者の避暑地の滞在場所になったわけで、ぶんどり合いの歴史でもあった。キリスト教ファースト的に考えれば勝利だが、本当に「まず神の国と神の義を求めなさい」に適合しているだろうか。今風に言えば、力による平和の獲得であったと言えるだろう。一方で、平和は適切な社会ルールが機能していることで実現する。教会にはその使命として「教会は公の礼拝を守り、福音を正しく宣べ伝へ、バプテスマと主の晩餐との聖礼典を執とり行ひ、愛のわざに励みつつ、主の再び来りたまふを待ち望む。」という考え方がある。「福音を正しく宣べ伝へる」ためには研究も必要だし、情宣にも費用が発生する。その時の社会ルールとのギャップは必ずあり、是正の世論を引き出していくことになる。同時に、活動資金は権力者の支持を必要とし、組織防衛の力も必然的に生じてしまう。
現代であれば、政教分離が望ましい姿と考える声は大きい。一方で、国教を制定しつづけている国家も少なくない。民主化が進めば「一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれる」で多数意見が採用されるようになる。「できるだけ(人より)多くを取る」ための選択という煽りが力を持てば、弱いものの人権が侵害されてしまう。
今日の箇所は、サンヘドリンのような宗教指導者を含む権力者が自分たちに有利なルールを制定したり、不適切な解釈を行うようなら、きちんと声を上げよと言っている。また、家族や近しい人たちであっても「できるだけ(人より)多くを取る」考え方に迎合してはならないと言っている。それは真の愛とは言えないからだ。現実にはうまく味方を増やさないと良い社会を作ることはできないから、結局は程度問題となるだろう。
現代は王国(専制君主)の乱立時期に比べれば遥かにマシになっている。紆余曲折を経ながらも御国は近づいていると私は考えている。
残念ながら戦争はなくなっていない。格差を感じる人もいなくならない。俺は割りを食っていると考える人の声が大きくなれば、自己中心の方向に流れやすい。自分の得失から考えるのではなく、愛を持って俯瞰することが必要になる。それが「福音を正しく宣べ伝へ」の重要要素だと考えている。環境が変われば取り組むべき課題の優先順位は変わるから、教会も時代適応しなければいけないが、本質を追求する姿勢は失ってはいけない。
※画像はMicah Exhorts the Israelites to Repent (Micah 7:1-20)。Wikipediaのミカ経由でWikimedia Commonsからの引用。