新生活112週目 - 「神殿の崩壊を予告する」

今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「年間第33主日 (2022/11/13 ルカ21章5-19節) 」。マタイ伝、マルコ伝にも平行箇所がある。

福音朗読 ルカ21・5-19

 5〔そのとき、〕ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。6「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」
 7そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」8イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。9戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」10そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。11そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。12しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。13それはあなたがたにとって証しをする機会となる。14だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。15どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。16あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。17また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。18しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。19忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」

物は壊れる、人は死ぬ。どんなに立派な建造物でもそれは変わらない。むしろ、形を保つという意味では、出雲大社の遷宮モデルの方が長持ちする可能性がある気がする。しかし、頑丈に見えるものに権威を感じてしまう。イエスの「一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る」がどういう意味なのかは、良く分からない。この箇所は印象的なのだが、本当のところで何を言っているのか私には分からない。ただ、「忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい」は救いの言葉に感じる。

「わたしの名を名乗る者」は何を意味するのか。私が再臨のイエスであると名乗るものの事かも知れないが、権威を振りかざす者と考えるほうが良いのではないかと思う。王権神授説のようなもので、この権威は神から与えられたものだと言う人はすべてまがい物だと思う。端的に言えば、嘘をつくような宗教指導者は正に「わたしの名を名乗る者」にほかならない。しかし、立派に見えたり他にすがるものがなければ、権威を与えてしまう。それは地獄に至る道だろう。

指導者に真実がなければ、必ず分断が起きる。不義があればやがて「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる」は起きる。強きにつくものは多い。親兄弟であっても真理より和を重んじることはある。しかし、それは問題の先送りに過ぎない。まがい物が悔い改めて真の道に戻らなければ破綻が待っているだけだ。

情報化時代となって嘘はかなりばれるようになったが、逆にバレバレの嘘をごまかすシーンが増えるようになった。客観的に見れば明らかにおかしなことを力で弾圧するケースも目に見えるようになった。その結果、強きにつくか、真実に忠実になるかも、目に見えるようになった。目に見えるようになっても、真実が通るわけではない。だから、真実に生きようと思うなら、「忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい」を信じるしか無いのだと思う。

物や人に権威を与えてはいけないのである。ものではなく事に焦点を当てることで真理が見えてくる。しかし、短期的には真理は自由をもたらさない。忍耐が必要だ。

私は、この箇所を終末論と言うより、今のこの世の現実を語った箇所と考えた方がしっくり来る。

ちなみに福音のヒント(2)で『「忍耐」と訳された言葉の元の意味は「下に留まること」です』とある。つらければ逃げても良いのではないかと思うのだが、逃げてはいけないことからは逃げてはいけないと読むこともできる。

※画像はThe Prophecy of the Destruction of the Temple (La prédication de la ruine du Temple) James Tissot