デジタル・フォレンジックに期待する

日経ビジネスで『東芝株主総会「不公正」問題、見て見ぬふりした監査委員会の罪』という記事が出ている。この記事で「デジタル・フォレンジック調査」という言葉が書かれている。

私は、かつてCATIENTという会社の代表清算人をつとめていた。CACの戦略子会社で、Kizasiを含むいくつもの挑戦的な事業を推進していたのだが、私の視点では守旧派とことなかれ主義者に潰されてしまったのである(あくまで個人的な見解)。立ち上げ前には関わったが、立ち上げ後には群がる奴らから排除され、いわゆる後始末は任されることになった(あくまで個人的な見解)。別に恨んではいないし、CATIENTの担当になるのはちっとも嫌ではなかった。

中でも印象に残っているのはEnCase/Guidanceを担いでデジタル・フォレンジックに挑戦していたところだ。ちょっと頑固な松本氏を思い出す。慧眼だったと思う。Pasadinaに通い、関西の製造業者に向けた営業活動を行っていたが、結局実を結ばせることはできなかった。非力である。うまくやれていれば、社会正義に貢献できていたはずだ。まあ、当時会った関係者の中にはハイエナ臭を感じることもあったが、金が動かないと時代が動かないのも現実だ。

この活動の過程でlitigation holdという言葉を学んだし、ITと法の関係についても考えた。

ICTの導く透明性と情報分析からは、政府(経産省)であろうと、政治家であろうと、実業家であろうと逃げることはかなわない。それで良いのだと思う。世の中は徐々に良くなっていると思う。今回の事件の決着がどうなるかは分からないが、時代は既に変わったのだと思う。

タグ