60歳2日目。久しぶりの友人(先輩)と意見交換の時間を持ち、ブロックチェーンや暗号の話などで3時間を過ごした。
彼は、キーパーソンに会いに行ける力を持つ人で、技術を深く理解しているとは言えないが、技術を知る人との関係も築ける才能がある。私には私の長所があり、それぞれ自分ひとりで何かを成し遂げることが容易にできるわけではない。
ブロックチェーンをやっている人は技術しか見ていないと彼には見えているようだが、同時にブロックチェーンの技術をもっている人が自分に欠けている点があることを知っているのも理解していて、良い関係を築けているように見える。
一人で全部できる人もいるかも知れないが、大抵は、何人かの人が異なる能力を補完し合うことで何かをなすことができる。腕っぷしや詐欺師的な能力で何かをなす人もいる。それも才能だと思う。人のやる気を引き出す能力は詐欺と紙一重で、引き出された人は本当に幸せな気分になって頑張れることがある。良いことか悪いことかより、充実感があるかどうかの方がその瞬間では意味を持つ。
色々な考えの人がいて、意見など一致が得られるという希望的観測は幻想に過ぎない。しかし、一致が得られそうだと思えば、力が出るのはある程度普遍的事実と考えてよいだろう。
母校では創立者の「良いことは必ずできる」という言葉をしばしば使う。私は、今でも「良いことは必ずできる」と信じている。この世を良くするような仕事がしたいと心から願ってもいる。しかし、実際には万人が合意する「良いこと」は極僅かである。ひょっとしたら皆無かも知れない。
それでも技術を「良いこと」のために活かし、皆の幸せを大きくしたいと願う。
漠然とだが、風が吹き始めているような感じがしている。勝負の年になるかも知れない。