『エストニアを知るための59章』を読んだ
今のエストニアは、1991年8月20日に「独立回復に関する決議」を採択し、8月24日にロシアに承認されている。だから齢30年に満たない新しい国である。Wikipediaにも「エストニアの独立回復」として詳しく書かれている。
しかし、それだけではなく、最初の独立宣言は1918年2月24日、1920年2月2日にソビエトと結ばれたタルトゥ条約で国家として承認されている。承認ベースで考えれば、まだ齢100年に満たない。
日本にいると、国家の独立という行為には実感が湧かない。沖縄には今も琉球独立運動があると聞くが、沖縄県の人口は1,453,750人(2019年9月1日推計)。エストニアは約130万人だから、1991年のエストニア再独立は人数的には琉球独立運動に近い規模ということになる。
真に失礼ながら、そんな小さな国が再独立するというのは大変なことだ。独立を維持することを考えると気が遠くなる思いがする。ロシアからの再占領、併合は現実的な脅威だ。それでも独立を達成したのだから、本当にすごい話だと思う。
この本の記述によれば、語族はフィンランドと近く、ロシアから遠いようで、ラトビア、リトアニアとも言葉は違う。フィンランドとも語族が近くても言葉は相当違うらしい。言語は、アイデンティティと強い関係にあるから、エストニア語を守り切れていなければ、再独立は困難だったのではないかと思う。
ドイツの影響も深く受けていて、エストニア地域の支配階層はほぼずっとドイツ人だったらしいが、エストニア語は保たれていた。しかし、ロシアが支配するようになってエストニア語による教育が禁止され、言葉を失う危機に面したとある。よく耐えたと思うし、耐えたからこそ、現在のエストニアのある種の強さが際立つように思う。
私がエストニアを知ったキーワードはIT立国でありe-residency制度であった。ごくわずかなネット記事から、2014年冬に訪問した際には極めて小さな兆候しか感じられなかったし、一人の旅行者として訪問する限り単なる西ヨーロッパ風の貧しさを感じる美しい街だった。しかし、なぜか何か只者ではないこれから化けそうな感触があったのを覚えている。その後「物理的に国土が占領されても、消えない国を作ろう」(表現は2019年のもの)というキーワードを目にした時に、そのビジョンのすごさを感じ、自分の頭の中でエストニアがその存在を大きくし始めたのだと思う。
物理的な国土を失っても消えない国とは何か?
国家は制度であり、アイデンティティでもある。エストニアは現実的な脅威を意識すれば、国家=国土と考えれば風前の灯火。では、国家をどう定義すれば消えない国を作れるのだろうか。彼らはe-residencyで国家=民族も捨てた。選択したのは、「国家=国家と契約した国民」なのだと理解している。もちろん、エストニア国民はコア国民であるが、既に6万人を超える契約国民(e-resident)を獲得し、新たな国家を形成している。130万人+6万人だから、国民の4%強は契約国民で居住者ではない。
改めて「21世紀の現時点で」国が独立することとはどういうことかと考えると、国土を民族を外して考えるという選択はありなのである。実は、多国籍企業はそのプロトタイプだ。既に経済規模は大国並みの企業は複数あり、その経済規模の故に国家のルール、法律まで改正して誘致するような動きはセーフハーバーを含めて稀ではない。特に小国は自国の存続、経済的発展のために熱心にラブコールを送っている。
それでも、古い国にはしがらみがある。エストニアには、そのしがらみが少ないのが魅力である。アメリカが新天地であったように、デジタル時代のエストニアという国家はバーチャル新天地となったと言っても良いだろう。
もし、e-residentが40億人になったら、旧来の国家は確実に崩壊し、現在の安全保障構造は意味をなさなくなる。実際には、国力を軍事力に求めることは既に現実的ではなくなっている。ドローン兵器は個人で買えるし、大量破壊兵器すら個人で手に入れられる段階になっている。税収も国家の権力として維持できなくなっており、短期的には今のスキームを維持できるとしても、もう新たな枠組みを模索する以外の道は無いのだ。
エストニアが、本当の新天地になるのかは歴史が証明することだが、私は既にエストニアのe-resident/契約国民である。その契約関係には婚姻も血縁も関係ない。その契約は一人の人の選択なのだ。
私は、エストニアの将来に大きく期待している。